小梅一丁目町会のあゆみ

小梅一丁目町会のあゆみ


 鍬の柄に うぐいす鳴くや 小梅村   芭蕉

「小梅村」、「小梅町」、なんと温かく粋な町名であることか。

小梅瓦町

小梅一丁目町会は、現在の住居表示では墨田区向島一丁目の一部、押上一丁目の一部及び押上二丁目の一部にまたがる区域で運営されている。

そもそも「小梅一丁目町会」の一帯は、江戸末期には小梅村と呼称されていた。「小梅」の云われは明らかではないが、巷説では梅林があったためと言われている。

明治5年には隣接する武家地を併せ、同15年6月には本所東町、同24年には元小梅八反目を編入して「小梅瓦町」と称した。

小梅瓦町には瓦焼釜が多数あり、また源森川の対岸・中之郷瓦町にも多数の瓦焼釜があった。年間の瓦生産量は20万枚から25万枚に及び、江戸文化の発展に貢献した。

牛嶋神社

本所総鎮守である「牛の御前・牛嶋神社」は貞観2年(860年)に勧請創起された。以来、北隣り須崎村の墨堤(隅田川の堤)常夜灯の東側にあった。

しかし、大正12年に発生した関東大震災後において焼失し、墨堤の拡張工事に伴い、昭和7年、隅田公園の開設(昭和6年)を期して向島一丁目(旧新小梅町)に遷座された。

牛嶋神社が鎮座する隅田公園は、旧水戸徳川家下屋敷・小梅御殿跡であり、春の桜と共に静かな佇まいが今日に受け継がれている。

新小梅町は、旧水戸徳川家下屋敷跡であり、西に隅田川、南に源森川、旧源森橋(現在の枕橋)、東北は向島小梅町に囲まれた地域であった。

三囲神社

わが町を含む小梅町の鎮守様である「三囲神社」は、往昔は三囲稲荷と称して田甫の中にあったと言われている。

三囲神社は、隅田川七福神のひとつであると共に雨乞いの神様として知られ、安政期の建造物と伝えられている。

元禄6年(1693年)に俳人・宝井其角が村人に代わって雨乞いのために「ゆうだちや田を三囲の神ならば」の一句を詠じ、神に捧げると、一天にわかにかき曇り、やがて轟然たる大降雨となった。この五穀豊穣を願った句碑が境内に建立されている。

曳舟川の橋

小梅上水とも呼ばれた曳舟川は、本所・深川地域への飲料水供給を目的に開削された。上水の役目を終えてからは、サッパコという小舟を曳く舟運に利用された。

住民にとって思い出深い曳舟川も、昭和31年に水戸街道のバイパス建設のために埋め立てられ、暗渠化された。現在は曳舟川通りにその名を残している。

埋め立てにより数々の橋が姿を消した。現在の町会会館に隣接するあたりの、曳舟川の落口の水門があり、水門橋と小梅橋があった。

曳舟川を北に上り現在の言問通りと曳舟川通りの交差点に旧八反目橋があった。その跡に「曳舟川の碑」が建っている。

また中之郷の入り口あたりには庚申塚橋があり、これを渡ったところに庚申塚があった。

小梅一丁目年譜

明治5年    小梅村に武家地を併合。
明治11年   本所新小梅町となる。
明治15年   本所東町を併合。
明治24年   小梅八反目を併合して「小梅瓦町」と称する。
明治43年   隅田川が決壊し、大洪水となる。
大正12年9月 関東大震災により全町は完全に灰塵と化した。
昭和3年2月  言問橋が架橋された。
昭和6年3月  隅田公園が完成。
昭和6年5月  東武鉄道・業平橋駅と浅草駅間が開通。
昭和7年9月  牛嶋神社の遷座祭が行われた。
昭和7年    本所区防護団が結成された。
昭和14年   言問警防団が結成された。

昭和20年3月 東京大空襲により小梅一丁目町会はすべてが焼失した。
        食糧難と闘いながら、町の復興に取り組み、
        電気・ガス・水道の復旧並びに住居の建設が行われた。

昭和22年3月 町会の隣組が廃止された。
     4月 区の連絡事務所が旧町会(梅友会)単位で設置された。
        警防団が消防団に改称された(防犯、防火が主たるもの)
昭和27年4月 小梅一丁目町会として町会業務が開始された。
        町会長に武田和次郎氏が就任した。

昭和31年   ・曳舟川が埋め立てられ、小梅児童遊園が設置された。
         子供たちの広場であり、住民の集まる場所となった。
        ・曳舟川の落口にあたる場所に町会会館が建設された。
        ・曳舟川の八反目橋は姿を消した。
        ・小梅一丁目児童会が発足した。
昭和35年4月 町会長に五十畑昌吉氏が就任。
昭和39年7月 新住居表示が実施され、向島一丁目と小梅一丁目の一部を併せ
        向島一丁目と表示された。

        長い間親しんできた小梅一丁目の町名が消えてしまった。小梅の町名は
        残すべきであると、町名存続のため各方面に運動を展開したが、第一次
        の実施区域だったため、厳しい制約が課せられ実現できなかった。

昭和41年3月 町会長に砂川留次郎氏が就任。
     4月 旧小梅一丁目は向島一丁目と押上一丁目、二丁目の一部に住居表示が変
        わってしまった。

        新町割基本原則の中に、区は町会区域、氏子区域、商店会等については
        関与しない旨の条項があったため、小梅一丁目町会は旧小梅一丁目の区
        域をもって運営している。

昭和48年8月 小梅一消火隊が結成された。
昭和53年   小梅一老人クラブ結成。紅梅会、梅和会結成。
        活気ある町会運営が見られるようになった。
平成元年3月  新町会会館が開館の運びとなった(現在の町会会館)。
平成2年4月  町会長に山﨑一夫氏が就任。
平成3年4月  町会名簿作成(町会創立39年)。
平成6年4月  町会長に木村正雄氏が就任。
平成9年4月  町会名簿作成(町会創立45年)。

平成14年4月 町会長に山室為靖氏が就任。
    10月 町会創立50周年記念式典挙行、祝賀会に多数の出席者を招待した。
        ロッテプラザ錦糸町に出席者132名。
平成15年2月 町会名簿作成(町会創立50周年記念)。
平成16年1月 「小梅一瓦版」を創刊する。年間10回発行。

平成17年2月 第2東京タワー誘致推進大会開催。墨田区誘致運動決起大会。
     4月 小梅児童遊園愛護委員会が結成された。
    10月 国勢調査実施。
平成18年3月 新タワー建設地が墨田区押上一丁目・東武鉄道に決定された
平成19年10月 墨田中学校創立60周年式典が行われた。
     11月 墨田区政60周年記念式典が行われた。
     11月 第1回新タワー関連まちづくり連絡会が発足した。
平成20年6月 新タワーの名称が「東京スカイツリー」に決定した。
     7月 東京スカイツリー建設工事着工。
     10月 タワービュー通りのまちづくり勉強会が開始された。
平成22年5月 小梅小学校創立90周年記念式典が行われた。
     11月 国勢調査実施。
平成23年12月 区道墨24号の愛称名が「小梅牛島通り」に決定された。

平成24年2月 東京スカイツリー竣工。高さ634m、世界一となる。
     3月 向島一丁目町会と共に「小梅牛島通りまちづくり協議会」を結成した。
     5月 22日、東京スカイツリー・グランドオープン
     6月 町内10ヶ所に防犯カメラ設置、安全・安心対策。
     10月 町会創立60周年記念式典を挙行。
        町会名簿作成(町会創立60周年記念)

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